2015年09月25日
尚巴志語り部事業始動
9月15日火曜日、今年の尚巴志の語り部育成事業が始動しました。
とはいっても、まずは尚巴志さんを知ろうということでのプレスタートとして、尚巴志のお墓へ訪問です。

琉球を統一した尚巴志、当然お墓は首里にあるとお思いの方もいるかと思います。
しかし、現在は読谷村にあるのです。そちらを訪問してきました。
マイクロバスで大里庁舎を出発し、一路読谷村まで向かいました。
バスの中では、歴史家の上里先生による、尚巴志のお話を聞きながら、いざお墓まで。

お墓でも上里先生から、なぜここにお墓があるのかなどの説明を受け、お参りしました。
その後、嘉手納の道の駅で昼食を食べ、帰途につきました。
これからはじまる事業の中で、尚巴志をより深く学んでいくこととなりますが、まずは第1歩として尚巴志の人となりを学ぶ機会になったと思います。
ちなみに、首里にある世界遺産の玉陵《たまうどぅん》は第二尚氏の王墓なので、第一尚氏の王様は入っていません。第一尚氏の王墓は天山陵といって首里にあったのですが、第二尚氏が政権を奪った際に、お墓を荒らされることを恐れた第一尚氏の方々がお骨を運び出し、この地に葬ったとされています。

とはいっても、まずは尚巴志さんを知ろうということでのプレスタートとして、尚巴志のお墓へ訪問です。
琉球を統一した尚巴志、当然お墓は首里にあるとお思いの方もいるかと思います。
しかし、現在は読谷村にあるのです。そちらを訪問してきました。
マイクロバスで大里庁舎を出発し、一路読谷村まで向かいました。
バスの中では、歴史家の上里先生による、尚巴志のお話を聞きながら、いざお墓まで。
お墓でも上里先生から、なぜここにお墓があるのかなどの説明を受け、お参りしました。
その後、嘉手納の道の駅で昼食を食べ、帰途につきました。
これからはじまる事業の中で、尚巴志をより深く学んでいくこととなりますが、まずは第1歩として尚巴志の人となりを学ぶ機会になったと思います。
ちなみに、首里にある世界遺産の玉陵《たまうどぅん》は第二尚氏の王墓なので、第一尚氏の王様は入っていません。第一尚氏の王墓は天山陵といって首里にあったのですが、第二尚氏が政権を奪った際に、お墓を荒らされることを恐れた第一尚氏の方々がお骨を運び出し、この地に葬ったとされています。
Posted by 尚巴志活用MP at 12:41│Comments(0)
│尚巴志の語り部育成事業