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2017年03月12日

放映まであと3日‼︎あらすじを読んで島添大里城跡と佐敷城跡に行ってみたくなった。

いよいよ3日後に迫った「琉球歴史ドラマ 尚巴志」

番組ホームページを見てみると以下のようなあらすじが…。

時は、1300年代後半。琉球は、三つの国に分かれ争いが行われていた。
武勇にすぐれた豪傑が治める北山。
内乱の続く南山。
そして、明との貿易などで三山最強を誇る中山。
南山の小さな勢力 佐敷の按司の息子として生まれた尚巴志(サハチ)。当時、琉球ではめずらしい鉄を使い、農具を作ることで民からも信頼されていた。
ある日、佐敷に二人の男が訪ねてくる。汪応祖と屋富祖大親。おなじ南山ながら、佐敷より格上の島添大里の按司の息子たち。彼らの口からでたのは、同盟の提案。しかし、その実は、武力に物を言わせ、佐敷が島添の配下にくだる要求だった。


なるほど。
序盤は三山鼎立時代の勢力図を背景に、佐敷間切と島添大里間切の対立構造が描かれているわけですね。
まさに現在でいうところの南城市内でのお話なんですね。

というわけで両方の史跡へ行ってみました。

まず、島添大里城跡のミーグスク展望台から佐敷城跡を見てみます。

放映まであと3日‼︎あらすじを読んで島添大里城跡と佐敷城跡に行ってみたくなった。

赤い丸が佐敷城跡です。
木々に覆われていてなかなか細かい部分まで見えませんが、当時はどうだったのでしょうか…。
とは言え、見張っておくぶんには十分ですね。

ミーグスク展望台は中城湾を一望できる絶景スポットです。
当時は貿易の入口である港の監視や他のグスクの動きを見張ることが必要でしたので、ミーグスクはとても重要な機能出会ったと言えます。

さて、続いては佐敷城跡から島添大里城跡を見てみます。

放映まであと3日‼︎あらすじを読んで島添大里城跡と佐敷城跡に行ってみたくなった。

こちらの赤い丸がミーグスク部分です。
現在は屋根があるので現場では肉眼でもわかりました。

島添大里グスク本体はミーグスクよりもっと左側の後方にあります。
なのでそこは画像で確認することはできません。

このようにお互いが監視しながら牽制し合っていたのかなと考えを巡らせてみます。
しかし当時は島添大里の力は絶大で、一説には南部の東半分を納めていたとも…。
尚巴志はどのようにして立ち向かうんでしょうか。
尚巴志と汪応祖・屋富祖大親の関係がドラマでどのように描かれているのか楽しみです。
また、当時の状況を現場で追体験してみると、ドラマをより楽しむことができそうです。

現在、南城市役所観光商工課では、関係する史跡やロケ地を巡ることのできる資料(紙・データ)を作成していますのでこちらもお楽しみに‼︎

番組特設ホームページ→http://www.rbc.co.jp/tv_program/shouhashi/




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Posted by 尚巴志活用MP at 13:28│Comments(0)琉球歴史ドラマ 尚巴志
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