第6話 知念城跡

尚巴志活用MP

2015年01月31日 14:19

知念城跡は古グスクと新グスクから成る連郭式のグスクです。
古グスクの石積は野面積みで、グスクの東側丘陵に位置し、背後は崖になっています。
名前の通り古くから存在すると考えられています。
一方新グスクは正門と裏門を構え双方いわゆるアーチ門の形をしています。
石積みはあいかた積みで『遺老説伝』によると内間大親(注①)という人物によって造られたとされています。
後の知念御殿です。
内間大親は尚真王の異母兄弟とされている説をとれば16世紀前半頃かと思われます。

近くの具志堅ウージ洞穴遺跡からは沖縄貝塚時代の土器が出土しており、古くから狩猟採集を中心とした人々の生活があったことがわかっています。
文明の転換はいち早く行われたのではないでしょうか。
グスクに隣接してウファカルや知念大川(ウッカー)があり、早い時期から稲作が始められたと想定されます。
また、『おもろそうし』においても知念グスクがグスク時代草創期から存在し貿易で栄えていた様子(注②)が謳われています。
 
指定地内における発掘調査では古い輸入磁器(注③)が出土しており、築城は12世紀後半から13世紀頃の可能性も考えられますが、古グスクの発掘調査はまだ行われていません。

注①内間大親•••金丸(尚円王)が内間御殿にいる頃に内間ノロともうけた子で尚真王と異母兄弟でありグスクのミーグスクを築いたという伝承がある
『遺老説殿』では古根大掟の養子として知念の地頭職に就き知名グスク(国王東行の休憩場所で後に知念グスク内に移る→知念御殿)を護ったと記述されている
注②『おもろそうし』に残る知念グスク•••「あまみきよが のだて はじめの ぐすく(アマミキヨが初めて神に祈ったグスク)」「かみおれ はじめの ぐすく(神が天降りした最初のグスク)」「たうのふね ここらよる ぐすく(唐の船たくさん寄るグスク)」などが沖縄最古の古謡集『おもろそうし』に謳われている
注③古い輸入陶磁器•••同安窯劃花文青磁皿(12世紀後半〜13世紀前半)や玉縁白磁碗(12世紀後半〜13世紀前半)、口禿白磁碗(13世紀中頃〜14世紀前半)、鎬蓮弁文青磁碗(13世紀中頃〜14世紀前半)、双魚文青磁皿(13世紀中頃〜14世紀前半)などが報告されている


ミーグスクは知名にあった東御廻りの休憩所機能を移したものとされます




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