今日は特別に番外編です

尚巴志活用MP

2015年01月06日 14:22

尚巴志と直接関係のあるお話ではありませんが、12年に1度のことで皆様も興味があると思い今月の広報なんじょうから引用させて頂きました。

「イザイホーとお新下り」

久高島は琉球王国時代より、「神の島」と呼ばれ崇められ、琉球国王と聞得大君が行幸した島でありました。
 今年は午(うま)年、久高島で12年に一度行われる神女の就任儀礼「イザイホー」の年にあたります。様々な理由からその開催は見送られることになりましたが、本展示会ではその一端でもご紹介することで、その祭祀儀礼に関わった人々の心に触れることができればと考えたものです。

久高島には琉球開びゃく創世神アマミク(アマミキヨとも)が上陸して国づくりを始めたという伝承があります。また、五穀発祥の地でもあると伝えられています。琉球王国時代には『久高島由来記』という文献史料が編まれるなど、王国にとって歴史上重要な島とされていました。

「イザイホー」は、その久高島の巫女となるための就任儀礼であるとともに、琉球王国時代は、聞得大君に仕える資格を得る大切な儀式であるとされていました。
久高島の女性たちが聞得大君に仕える役目に就くにあたり、国王が神女としての認証を与える《辞令交付式》の性格を帯びた国家的な祭祀こそが、「イザイホー」本来の姿であったと考えられています。そして当然のことながら、斎場御嶽で行われた「お新下り」儀礼へとつながっていくのです。
 琉球王国時代から、南城市は東(あがり)四間(ゆま)切(じり)りと呼ばれ、王国にとっても神聖な方位・場所でありました。そして久高島は「太陽の昇る島」「神の島」として尊崇されていたのです。
 南城市には久高島同様、開びゃく神話に登場する場所(斎場御嶽・知念杜・ヤブサツの浦原・玉城アマチジ)が多く残されていますが、これは県内でも特筆されるべき南城市の大きな特徴となっています。私たちはその事実に誇りを持ち、後世に大切に継承していきたいものです。




関連記事