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2015年02月10日

第16話 中央集権化と人々の生活

尚真王の頃に間切(注①)などの行政区画が確立したと考えられています。
東四間切を代官(注②)が管理し、間切は地頭(注③)が管理していました。
地頭は苗字に収めている地名を冠しました。
踊奉行で有名な玉城朝薫(注④)は玉城の地頭であったということです。
各地に番所(注⑤)が建てられ、主に税収を中心として役人が仕事をしていました。
首里との連絡は多くの宿道が敷かれたことで小谷の石畳(注⑥)はその名残です。
また、かなり厳しく税(注⑦)をとられたので農民の生活はかなり困窮していたと云われています。

対外交易が益々活発になる中で沖縄の人々と外国の人々との交流も生まれてきます。
奥武島観音堂の伝説(注⑧)もそれを表していると考えられます。

この頃新しく形成された集落は、蔡温によって指導された風水にのっとり南北軸の碁盤目になっているものがあります。
前川区のつくりはその代表です。
沖縄で古民家といえば瓦葺き屋根を思い浮かべますが、赤瓦は18世紀頃に登場しました。
それ以前は茅葺屋根です。
一般の家で瓦が葺かれるのは明治以降のことです。
南城市の遺跡からも赤瓦が出土しますがその包含層は近世のものと判断されています。
一緒に出土するものとして沖縄産陶磁器(壷屋焼など)(注⑨)があります。

屋根にシーサーが乗ったのは赤瓦屋根以降であり、それまでは集落ごとに配置されていました。
通常、村獅子は口を開けているのが一体ということが普通で、これは火を飲んで火災を防ぐ意味があり、南風原区の石獅子などが有名です。

建物は木造で掘立柱建物(注⑩)から礎石立ち(注⑪)になってきます。
古民家によく見られるひんぷん(注⑫)や石垣、フール(注⑬)などが造られました。

南城市には井泉(注⑭)が多くありますが、これらは南城市の背骨とも言える琉球石灰岩台地に降り注いだ雨がドリーネを形成しながら川や海に流れ出る途中で集落ごとに取水したものです。
一般的に囲い込んで造るものと掘り下げて造るものがあります。
野菜や着物、馬を洗ったり、水を浴びたり、お風呂(注⑮)に入ったり、生活に井泉は欠かせないものでした。
また、これらの水は台地斜面を利用してつくられた棚田にも大いに利用されました。

注①間切・・・古くは按司の領地で、近世においては羽地朝秀によって整備された行政区画

注②代官・・・七代官制においては東代官が治め、四代官制では島尻方代官が治めた

注③地頭・・・間切には2人の地頭がおり、一方は王家や按司家の地頭でもう一方は親方と称される地頭である

注④玉城朝薫・・・踊奉行を務めた際に組踊を創った。
江戸へよく行き、日本の芸能を見て学んだという。
『二童敵討』『執心鐘入』『銘苅子』『女物狂』『孝行の巻』は朝薫の五番といわれる

注⑤番所・・・現在の役所のようなもの

注⑥小谷の石畳道・・・島尻方東海道の一部

注⑦税・・・米や雑穀、直接労働や製作物など

注⑧奥武島観音堂・・・難破した中国船を助けたことから感謝の印に観音菩薩像をもらったので観音堂を創建して祭った

注⑨沖縄産陶磁器・・・近世になると遺跡からの出土遺物が輸入陶磁器から沖縄産陶磁器主体となってくる
『球陽』によると1617年に佐敷王子(尚豊)が薩摩から朝鮮人陶工を連れてきて那覇の湧田に住まわせ民に陶芸を伝授したとされる
古我知焼などの古窯も存在したが1682年に壷屋へ一本化される

注⑩掘立柱建物・・・島添大里グスク南遺跡で発見された14世紀頃の掘立柱跡を見てみると、穴を掘り込んで底に石を置いて木の柱を安定させ、柱のまわりを添石と土で固めていく方法が観察できた。

注⑪礎石立ち・・・大型グスクの正殿に代表されるもので、平たく大きな石の上に柱を立てる
近世では柱の下に基礎石を置いて安定をはかった

注⑫ひんぷん・・・門外から家屋が直接見えないように隔てる石壁
中国から伝わった文化

注⑬フール・・・豚舎兼便所

注⑭井泉・・・カー、ヒージャーなどの水場
垣花樋川や仲村渠樋川、チチンガーなどが有名

注⑮お風呂・・・仲村渠樋川には五右衛門風呂があったとされ復元されている

その他・・・墓についても触れておくと、16世紀以前は一般的に洞窟や岩陰を利用した風葬墓であった。玉陵のような建築墓の登場は16世紀以降である。亀甲墓や破風墓は士族階級のものであったが、廃藩置県後に庶民にも普及した

第16話 中央集権化と人々の生活

































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Posted by 尚巴志活用MP at 11:06│Comments(0)【連載】南城市の歴史
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